社会福祉法人 多摩同胞会

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理事のリレーメッセージ

理事10名が個人の経験や考えについて、毎月交代でメッセージをお送りします。

     

平成21年度(2009年4月~2010年3月)

2010年3月 理事のリレーメッセージ

自然環境を大切に

青い空

万葉集に、風の音で秋が来たことを感じるというような一首があったと思う。季節の変化を音で感じることはなかなかできないが、生活習慣や自然環境の変化で季節の変化を感じられることは、身近にまだまだ多く残っている。日常生活を送りながら、四季を感じることのできる日本人は、ある意味で幸せ者といえる。余談だが、昔からの遊びに花札というのがある。12種48枚で構成されていて、12種は、暦の月を表し、1月から順に松、梅、桜、藤、かきつばた、牡丹、萩、すすき(月)、菊、紅葉、柳(雨)、桐というように、その月にあった植物の絵が描かれている。なるほどと思うが、ただ11月の柳(雨)と12月の桐だけは、まったくわからない。柳の陰で傘をさしている人物が平安中期の書家、小野道風であると聞いたことがあるが、何故11月が柳で12月が桐なのか、ご存知の方がおられたら教えていただきたい。
近年、地球の温暖化がもたらす気象の変化や自然環境の破壊が進み、その対策を講ずることが世界的な課題となっている。何かをしなければという認識は共有されているのだろうが、何をどうするかについては、その目標を掲げることさえできないでいる。公害対策をおろそかにして経済発展を先取りした先進国が、率先して対策を講じるとともに応分の負担を負うべきという主張はもっともだと思う。しかし、海水の上昇によって国土が失われつつある国もあるという現状をみれば、自然環境の破壊が差し迫った世界的な脅威であることも各国は理解すべきではないだろうか。目標達成までの手段や行程が多少異なるにしても、せめて達成すべき目標は共有して欲しいと願っている。
自然環境は、世界的な財産であり、地球そのものと考えるのは間違っているのだろうか。

理事 石川 國雄


 

2010年2月 理事のリレーメッセージ

文化の値段

美術館

子供の頃から博物館が好きで、小学校二、三年の時には一人でトコトコ電車に乗り国立博物館や交通博物館に行き、世界の面白き万物を飽きずに眺めては過ごしていた。
というわけで、大人になって外国へ行くようになってからも、折りをみては博物館や美術館へ立ち寄るのだが、ヨーロッパではかなりの所の入場料が無料で、館内に入るとアクリルで出来た募金箱が置いてあり、各自が勝手にお金を入れるようになっている。お金持ちは沢山、そうでない人は、懐の余裕がある時に自分の出来る範囲でお金を入れれば良いというシステムだ。
かの有名な大英博物館も、創設以来250年間入場料は無料で、観光客も多いが地元の人たちも気軽に来ていて、おじいちゃんが孫の手を引いてなどというほほ笑ましい風景を見かけたりする。
この10年程、仕事の関係でイギリスの隣の島国・アイルランドへ度々
行き、首都のダブリンの中心街にある国立美術館や博物館へ立ち寄るのだが、いずれも入場料は無料で、家族連れの市民や学生達が気軽に来ては世界の名画や、自国の歴史的な遺産を熱心に観ている。
今回ちょうど良い機会と思い調べてみたら、予想していた事とはいえ、
我が日本国では入場料無料は絶無で、しかも公的な機関にも関わらずすこぶる高いのには改めて驚かされた。
二月のある日、夫婦と大学生の子・家族三人で上野の国立博物館へ行き、常設展と特別展を観て、せっかく上野まで来たのだからと東京都美術館で美術展を観たと仮定すると、なんとそれだけで入場料合計が9.800円になる。これが、博物館や美術館へ気軽に観に行ける値段だろうか。
ヨーロッパ諸国も世界的不況で財政難にあえいでいるが、人間の営みの最後の砦として「福祉と文化」が考えられている。人の心がすさみ易くなる時代だからこそ、本当の豊かさとは何かを再考する必要があると思われる。ひとはパンが無ければ生きられないが、パンのみにて生きているわけではないのだから。

理事 鈴木 龍一郎
(写真家・日本写真家協会会員)


 

2010年1月 理事のリレーメッセージ

ある養護施設での子どもの窒息死事件

お正月

12月8日、68年前に太平洋戦争を始めた日の新聞には、そのことは一言も触れられることは無かったが、社会面の片隅に、社会福祉施設を運営するものにとって、見逃すことができない記事があった。都内の児童養護施設で、2007年にショートステイで預かっていた2歳児が、窒息死したとして、注意怠慢の理由で、職員と園長が書類送検されたというのである。
人の命は、重い。窒息死に至った理由はどうであれ、その施設の職員、園長は、その責任からは逃れられない。しかし、一方では、厳しい職員体制の下で、片時も目を離すなとばかりの注意義務怠慢の指摘には、職員としてやりきれなさが残るのではないか。人の命が重いのであれば、その重さをしっかり支えられる職員体制をはじめ、援助・保護できる条件を整えておかなければならない。その基本的な責任は、施設にその役割をゆだねた公にあるのではないのか。コンプライアンス、リスクマネジメントなどの横文字が横行する中で、基本的に責任を負うべき主体が、どこかに隠蔽(いんぺい)されて、ケアに直接たずさわっている職員、事業所のみの責任が問われることに、大きな違和感を覚えている。

理事 小笠原 祐次


 

2009年12月 理事のリレーメッセージ

新型インフルエンザの脅威

雪景色

私たちは毎年冬になると季節性インフルエンザにおそれをもって、ワクチンを注射してなんとか罹(かか)らないように努力をしてきました。ところが今年3月に豚インフルエンザに由来する新型インフルエンザが北米で発生し、またたく間に全世界に広がりました。
新型インフルエンザは過去3回発生しております。即ち、スペイン風邪、アジア型インフルエンザ、香港型インフルエンザがあります。しかし、幸いにも40年近くパンデミックはありませんでした。
今年の初夏の頃でしたか関西を中心に発生した新型インフルエンザはあっという間に日本全国に流行しました。鳥インフルエンザのこともあって我々医療関係者や行政関係者などが協力して水際で防ぐ?訓練をしたが、まったく現在では役立っていない。
新型インフルエンザに罹る人は大体20歳以下の人に多い。幸いにも施設での流行は聞いていない。医療関係者は毎日がワクチンの注射とインフルエンザ患者の診療で戦場で働いているようなものです。早く終息してくれることを祈ります。

理事 田口 俊夫
(田口医院院長)


 

2009年11月 理事のリレーメッセージ

急がばまわれ

晩秋の庭

先日、ラジオからどこかで聞いたような言葉が流れてきた。
「急ぎ道は遠回り、歩を早めるほどに足がもつれる」
私は遠い日の1シーンを思い出した。

それは確か、入職3年目を迎える直前のAさんからの相談だった。
「私の同期生は殆どが相談員。私は相談員にはなれないのでしょうか?」
確かに大学でみっちり社会福祉を学んできたAさんにしてみれば、「今まで学んだ知識や技術を駆使してきっと立派な相談員になる」と、未来の姿を夢見て多摩同胞会に就職したに違いない。
私は、「介護施設は介護職が主力。先ずは現場で、利用者の生活実態や施設機能を知ることがとても大事。その経験を重ねてこそ相談員業務をこなす原動力になる。小学1年生にいきなり6年生の漢字が沢山詰まった教科書を読んでといっても無理なように、あせらず1年1年を次に繋ぐための現場体験と考えて」と答えた。

当法人では、先ず、現場を体験し利用者と向き合うこと、学校では学べない生の利用者の姿や生活実態、施設が提供するケアの実際がどうなっているのか理解して頂くことを最優先してきた。栄養士も調理員業務からスタートして貰っているが、最近、介護職より相談員希望者が多いと聞いた。私は、高学歴、高資格社会だからこそ、先ずは現場体験が大事と伝えたい。何故なら、問題も解決策もそこにあるのだから。
施設には大学教授レベルの人もいれば中堅職員も大勢いる一方で、まだ日の浅い新任職員もいる。その一人一人が法人施設の組織の一員として相互の人材育成を図りつつ、地道かつ真剣に利用者ケアに取り組んでいる。
冒頭のAさんは勿論、今、優秀な相談員として活躍中である。

時代の流れとともに将来が期待できない若者が増えていると聞く昨今、少子高齢社会はますます進展し続け、福祉介護の必要性は更に高まる一方である。
私は、現場職員が希望と誇りを高く持ち、次代に相応しい利用者ケアに一層の磨きをかけて欲しいと願っている。

理事 関 道子
(多摩同胞会 サービス向上担当)


 

2009年10月 理事のリレーメッセージ

特養の介護員の仕事

理事 相羽 孝昭

特養の介護員の仕事は、一般的には3K職場と言われて、給料も低く、若い人に人気もない。しかし、この仕事を天職と心得、日夜献身的に取り組んでいる職員も少なくない。このギャップはどこからくるのであろうか。
お年寄りは、今は頭も身体も衰え、多くは病気を持ち、社会の役立たずになってしまったという大きな喪失感をもっている。「生きることの苦しみ」といってよい。「早くお迎えがきてほしい」と真顔で訴える人も少なくない。
この場面では医療は無力である。介護員は、日々のお付き合いを通して、この「生きることの苦しみ」を少しでも和らげることができる。
だから、介護員はお年寄りとの人間関係を大事にする。そこに良い関係が生まれると、介護員のちょっとした笑顔や声かけで、お年寄りも喜び、生きていてよかったと感じ、職員もまた自分がその人の生きる力になっていると感じるのだ。
お年寄りは、介護員の存在によって役立たずの自分自身を肯定できることで、息を引き取るときに「ありがとう」と言って、安らかに息を引き取ることができる。
ほとんどすべてを喪失してしまった人にとって、介護員こそまさに神のような存在なのであり、それがこの仕事の醍醐味とも言えるのではないだろうか。

理事 相羽 孝昭
(社会福祉法人 アゼリヤ会 特別養護老人ホーム みやま大樹の苑 施設長)


 

2009年9月 理事のリレーメッセージ

食べるために生きる?生きるために食べる?

ごはん

人間は食べなければ死んでしまいますから、「生きるために食べる」ことは否定できません。「食べるために生きる」のはちょっと寂しい気もします。
しかし生活のなかで「食べること」はなんと大きな比重を占めていることでしょう。
まず食材を購入するために必要な収入の確保。その前に食材を提供して下さる人々の存在、自然の恵み、生産の力、購入するための手段、材料を調理する人、調理するために必要な水や火や電気などの資源と供給の仕組み。調理器具や器の数々。
調理したものを食器に移し、出来上がります。食事が終わると後片付けもあります。
日々の営みのなかでは少なくとも買物、調理、片付けは欠かせません。年をとってくるとこの繰り返しで毎日が過ぎてしまうこともあり「食べるために生きている」と思うこともあります。
食べることは空腹を満たすだけはありません。バランスのとれた食事により、健康を保ち、味つけのよい新鮮な食材を口にしたときの幸せな気分や季節感のある盛り付けや料理にあった食器に出会ったよろこびなど、生活の豊かさや楽しみを実感するのも食事の力です。
高齢者が元気に自分らしく生活を継続するために食事の力をあらためて認識しなおしたいと思います。一日一食でよいから、その方のために心をこめてつくった食事を食べていただくことは健康のためにも人生の豊かさのためにもとても大切なことです。
均質化された不特定多数のマニュアルにより量産された食事ではなく、ひとりひとりが集って100人になった顔の見える100食を職員が手作りするのが生活の場といわれる老人ホームの食事です。
9月の敬老週間にはホームだけでなくデイサービス、訪問食事それぞれの場面でお祝膳が用意されます。食事係は2週間に及ぶこの時期にご利用者に喜んでいただけることを願って献立づくりや箸袋の飾りなど準備に余念がありません。
「食事係は介護職ではないのですか」と真剣なまなざしで問い返してきた若い調理師の言葉は今も耳に残ります。食事は大切ないのちと豊かな生活の支援です。

常務理事 鈴木 恂子
(社会福祉士)


 

2009年8月 理事のリレーメッセージ

福祉には利用者の理解と協力がかかせない

散歩

高齢による機能低下や障害は全て細胞数の減少から始まります。よく血管から老いるといいますが、動脈硬化により、脳や心臓などの主要臓器に障害がきます。
病気は治るけれども、老化は治らないといわれます。いかに老化を防ぐかが、本人にとっても周囲の人にとっても大きな課題です。老化による骨粗鬆症の人は、転倒による骨折は避けられなくなります。どんなに注意していても自然の骨折もあります。それらの身体の変化は加齢により避けられません。
そういう老化の本態を利用者の家族の方々によく理解していただくことが福祉の第一歩だと考えています。

理事 内野 滋雄


 

2009年7月 理事のリレーメッセージ

アラビア文化の遺産

モスク

いま、原理主義に陥ったアラブ世界はテロの温床、女性差別の温存、不正の巣窟のように印象づけられていますが、9世紀のアラビア世界は、バグダードが唐の長安と並んで人口100万を誇る大都市であったように高い文化をもっていました。
二十数年前、非常に興味深い本に出会いました。著者はドイツ人の女性大学教授。
彼女は、西欧が15世紀のルネッサンスにより近代化できたのは、11世紀以来の十字軍の遠征により西欧人が優れたアラビア文化(イスラーム文化)に触れ、以来4世紀をかけてアラビア文化を組織的に学ぶことにより、貧しく野蛮であったキリスト教原理主義社会を克服できた結果である、と説きます。中世ヨーロッパは、ギリシャ・ローマ文明を異端のものと否定し、聖書でさえ民衆に読むことを禁じて、徹底した衆愚政策を実行していましたが、隣のアラビア民族は、7世紀から15世紀まで、ギリシャ・ローマ文明を継承したに止(とど)まらず、これを発展させて、世界の指導的民族であり続けたと言われています。
すなわち、西欧の発展は西欧人の自力で行われたのではない、にも拘(かか)わらず西欧の歴史家は、アラビア文化の影響を無視し、故意にアラビア民族と文化を貶(おとし)めてきた、と批判していました。
私たちが日常使用しているアルコール、ベンジン、カリウム、ナトリウムなどの化学用語、ギブス、ガーゼ、ミイラなどの医学用語、バロック、ギター、タンバリンなどの音楽用語、ブラウス、ジャケット、ジャンパー、キャンディー、カフェ、シナモン、シャーベット、ソーダ、マットレスなどの生活用語、そのほかカラット、サファイヤ、オパール、サフラン、ファンファーレ、などが、すべてアラビア語起源のものだそうです。
また、位取りとゼロの発見を特徴とするインド数字を「アラビア数字」として普遍化したのもアラビア人でした。ローマ数字ではV=5、X=10、L=50、C=100、D=500、M=1000であり、位取りがない。試みにアラビア数字の「4,087」円は、ローマ数字では「MMMMLXXXVII」円と表記される。漢数字では「四千八十七」円となりややマシだが、やはり位取りがないので、十・百・千の文字が必要となる。コンピューターの成立は、位取りにより「1」が十にも、百にも、千にもなれるというアラビア数字のおかげだと言われています。
一つの民族の発展は他の民族から刺激を受け、学ぶことにより支えられ、民族間に優劣がないこと、宗教や思想が原理主義化したとき、社会の発展は阻害されることを思い知らされたのでした。

理事 板垣 光繁
(江東総合法律事務所弁護士)


 

2009年6月 理事のリレーメッセージ

生活の場

窓辺の花

多摩同胞会の09年度事業計画では、改めて「生老死」を重要な検討課題として取り上げている。それは入所利用者の急速な重度化重症化が進む中、ターミナルにウェイトをかけて検討せざるを得ないところに来ているからである。それが現在の特別養護老人ホームの利用者ケアに立ち向かう現実ではあるが、しかし、人生の最期の時を心穏やかに安心して過ごしていただく役割を持つ社会施設としては、「人として人らしい」「暮らしの場」「生活の場」という目線での援助(ケア)作り、場作りも必要に思えてならない。
そういえば「生活の場」という考え方は、政府の方針として30数年前から位置づけていたはずであった。そんな視線で、今いくつかの施設の重度化の変化を見ているが、岩手のある施設は25年前には自力で食事ができた人が26%いたが、今では5%に、自力歩行も20%から4%に減少している。岡山の施設でも同様で、先日うかがった施設では自力食事0であった。
「生活の場」の方針は、どこに行ってしまったのか? 日本の福祉は「現実だからしかたがない」で、いつも弱いものが負担を背負ってきたが、こんなところにもその姿が示されている。

理事 小笠原 祐次


 

2009年5月 理事のリレーメッセージ

小さな満足

蔵王の樹氷

ある番組で「小さな満足」をテーマに、視聴者から寄せられた声を放送していた。そのなかに「急いでいたわけではないが、通過する交差点の信号が連続して青信号だった時」という声があり、なるほどなと感心した。自分にはと記憶を辿ってみると他愛もないことがいくつか思い出されてきた。
平成元年頃からだったと思うが、15年以上にわたって毎週放映されたテレビ番組に、藤田まことが主演の「はぐれ刑事純情派」というのがあった。エンディング曲を堀内孝雄が唄い続け、「恋唄綴り」など数多くのヒット曲を出したことでも知られている。このドラマの最後に、夜遅くに真野あずさが和服姿でママ役を演じるスナックに立ち寄るが、いつも他のお客さんがなく、ママが従業員を早く帰した後、カウンターを挟んで、時には隣に座って二人きりで語らうシーンが毎回のようにあった。
定年を迎える5、6年前から、こんなチャンスにめぐり会えることを願ったわけではないが、なぜか一人でとまり木に座ることが多くなった。遅くまで飲み続ける方ではなかったので機会は少なかったが、でも何回かはおいしいお酒を飲めたこともあった。そんな時は「小さな満足」を感じていた。たぶん感じていたと思っている。
載せていただいた写真は、3年連続して挑戦し、今年やっと出会えた蔵王の樹氷高原で、大きな満足を感じながらシャッターを切った時のものです。

理事 石川 國雄


 

2009年4月 理事のリレーメッセージ

春の日溜りの中で

春のベランダ

「お寒おすな、毎日」
「へえ、まだお水取りがすまへんさかいになあ」
そんな挨拶が京都の三月初旬によく聞かれる。
「お水取りの後に比良の八荒が終らな、ほんまの春は来いしまへんわ」。
お年寄りは必ずそう付け足すという。-古都旅情(瀬戸内寂聴)
奈良東大寺二月堂のお水取りは今日三月十二日、そして各地に花の便がやってくる。
屋上の日溜りや日当たりのよいベランダで、思いっきり手足を伸ばし、大気を吸い込んで、ゆっくり体をなでまわしてやりたい。
「よく、まあ生きてきたもんだ」と自分で自分を褒め称えたい。そっとなぐさめてやりたい。
きっと手足はぴくぴくと感動して、また一つ若い力を呼んでくれるかもしれない。
季節は、花から新樹へと萌える。私達もこの1年、お互いに助け合って、可愛い老と楽しんでゆきたい。

理事長 坂本 巌

 


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