理事のリレーメッセージ

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平成22年度(2010年4月〜2011年3月)

2011年3月 理事のリレーメッセージ

社会関係資本

菜の花

2011年2月4日の毎日新聞のコラムで「社会関係資本」という言葉が目にとまりました。「自分の国は子育てしやすい」と感じる人は、スウェーデンではほぼ10割、日本は5割とのこと。コラムではその理由として、子育てへの経済的支援や保育サービスとは別にもっと基本的なこととして、社会関係資本の整備をおろそかにしたことが指摘されています。子ども連れで外出したときに声をかけたり、手伝ってくれるといった他者への接し方や手助けに先進諸国と比べて差があるといいます。そしてその結果、「孤育て」や「孤独」を生んでいるといっています。
社会関係資本とは、人間関係の豊かさこそが社会の資本という概念で人と人とのつながりや、それによって生み出される信頼や規範をいうと説明されています。

次にくる人のためにドアをちょっとの間押さえていたり、階段でベビーカーに手を貸したり、白杖の方に声をかけたり、日常の生活のなかでできるちょっとしたことが知らない人との間でもあたたかな豊かな瞬間を共有することがあります。
社会福祉のしごとは、まさに人間関係の豊かさこそが基本となるべきですが、この10年間は社会福祉の基礎構造改革の下で「競争」「選択」「契約」「自己責任」「自立支援」が重視され、福祉のぬくもりや余裕を失わせ、社会の人間関係をより冷えたものにしてしまったようにかんじられます。

社会にとって人間関係の豊かさが資本と考えるとき、社会福祉のしごとこそ、競いあいや自己責任ではなく、共存、共感、共有を大切にしたいと思います。そして福祉の現場から人間関係の豊かさを実践し、発信していきたいと考えます。

常務理事 鈴木 恂子
(社会福祉士)


 

2011年2月 理事のリレーメッセージ

財政と社会福祉

梅の花

政府は、二つの問題、すなわち、社会福祉と消費税の問題とTPP(環太平洋諸国の自由貿易圏)への参加問題とで揺れている。ことは単純明快ではない。
90兆円の予算のうち、20兆円の使途が過去の赤字国債の返済分、税収は40兆円に満たない。税収だけでは必要な支出のための資金を調達できないので、赤字国債を発行して資金を調達する。国債の発行は要するに資金繰り。
資金繰りを外国からの資本輸入や借入に頼るとどうなるか。思い起こすのは、1997年7月にタイではじまった東アジアの通貨危機。マレーシア、インドネシア、韓国に飛び火し、これらの各国から外国資本が逃避した。外国資本の逃避は、自国通貨が売られ、外貨ドルが持ち出されるから、ドル保有の枯渇と自国通貨の暴落を招き、ドル建て債務が増大するに止まらず、国際取引が出来なくなる。そこでIMFの緊急融資を求める。IMFは破産国家への融資なので財政支出の大幅カットを条件にする。社会福祉は大幅に後退する。2008年の米国のサブプライム問題に発したアイスランドの危機も同じ。
しかし、我が国の現状は、国債の累積額は880兆円に達しているが、1500兆円の国民の貯蓄があるので、資金繰りは国内で調達している。そこで未だ大丈夫だとする専門家も。にも拘わらず、国債への返済金を国債で賄う自転車操業は、サラ金の多重債務状態と同じ。赤字経営が続いているが資金繰りは何とかなっているという異常状態は、企業なら長くは続かず、いずれ倒産必至。これを脱して国家財政を改善し、社会福祉を後退させないために、消費税の増税が論じられる余地が出てくる。
ところが、増税しても雇用情勢は改善されない。そこで、遅ればせながら、税収と雇用改善のために、我が国の優れた新幹線や原発施設などのインフラ整備技術の輸出を外務省など政府も売り込みに一役。しかしオバマ氏はわずか2、3日で中国の胡錦涛氏に2兆円を超す中国への輸出を合意させた。我が国が雇用を改善するために法人税の税率を下げると発表すると、危機感を感じたアメリカ政府が負けじと法人税の減税を発表。アジア杯カタール戦の日本代表チームのように、めげないサッカーをしないと。       
そして、巨大市場の中国も、快進撃の韓国も未だ参加を表明していないTPPへの参加は国論を二分している。不参加は我が国のガラパゴス化をもたらし、雇用も財政も悪化させるのか。参加は農業の存続を危うくするのか。それとも、我が国の優れた安全な農作物が世界市場に打って出られるポジティブな状況になるのか。
本当にムツカシイ時代。ポリシイ不足の菅首相の平成維新論は、意外にも、まぐれ当たりかもしない。

理事 板垣 光繁
(江東総合法律事務所弁護士)


 

2011年1月 理事のリレーメッセージ

「デンデラ野」探訪

デンデラ野

デンデラ野について柳田国男が『遠野物語』で、「昔は老人が六十になると、デンデラ野に棄てられたものだ」と、紹介しています。
これまで授業など高齢者生活史の話の中で、日本の棄老伝説として「姥捨山」の話にあわせて、「デンデラ野」についても紹介していました。
しかし、私自身はデンデラ野を確認していませんでしたので、昨年10月末、遠野を含む東北旅行の折に、カッパ淵と共にデンデラ野探訪をしてきました。道に迷い迷いしながら、薄れた文字の案内板をやっとのことで見つけて、遠野市中心部から10km程離れた山間のもの寂しい小さな平坦地で「デンデラ野」を確認しました。丈の高い芒の奥にある小さなわらぶき小屋がわびしく立っているのが印象的でした。
「棄老」は、伝説として語られますが、昨今の「消えた100歳高齢者」や高齢者の「孤独死」、「無縁社会」と無関係ではない様な気がして、胸打たれながら帰途についたものです。

理事 小笠原 祐次


 

2010年12月 理事のリレーメッセージ

「幸せの国」について

イルミネーション

「子どもへのこんなやさしさ、両親と老人に対するこのような尊重、洗練された趣味と習慣…」「人々の魅力的な態度、その礼儀正しさ」「いたるところに満ちている子どもたちの愉しい笑声」あるいは「誰の顔にも陽気な性格の特徴である幸福感、満足感、そして機嫌のよさが現れ…」そして「富者も貧者もない」「本当の幸福の姿」な人々が「鍵もかけず、何らの防犯策も講じずに、一日中家を空けて心配しない」生活をしている国。
まるで桃源郷のような国。国民総幸福度が世界でも高いと言われるフィンランドやブータンのことではなく、日本のことです。

江戸時代後半から明治にかけて多くの欧米人が日本を訪れ滞在し、書簡や記録を残していますが、その中に記述されているこの国・日本の姿をまとめた本『逝きし世の面影』(高橋京二著、平凡社ライブラリー)からの抜き書きです。
著者がこの本の中で述べているように、滅んでしまった在りし日の日本の姿を偲ぶのに、異邦人の証言に頼らなければならないのは、当時の日本人にとって余りにも当然のことなので記述する必要がなかったからです。

近年、我々にとって経済至上主義のGNP(国民総生産)ではなく本当はGNH(国民総幸福度)のほうが大事なのだという考え方が提唱され、国連でも論議されています。
日本を含めインド、中国、メキシコ、スエーデン、アメリカ、ドイツ、フランスなど世界14カ国の子どもと若者を対象にした、幸福度を計るある調査によると、『今の状況は幸せですか?』の問いに対し、14カ国の平均が43%(16-34歳)、57%(8-15歳)。そして日本は先進国中の最下位で、8%(16-34歳)と13%(8-15歳)という異常な数字が発表されています。
物があふれ一見豊かに見えながら、日本の子どもや若者は「幸せ」ではないのです。

昔は良かったと、嘆いたり懐かしんだりするのではなく、未来への指標として「男も女も子どもも幸せそうに見える」の一節がある、上記『逝きし世の面影』の一読をお勧めするゆえんです。

理事 鈴木 龍一郎
(写真家・日本写真家協会会員)


 

2010年11月 理事のリレーメッセージ

高所恐怖症

白馬スキージャンプ台

10月上旬に紅葉を求めて長野県の白馬村を訪ねた。初日は、時間の都合で山に行くことができないので、近くにある長野オリンピックで使われた白馬ジャンプ競技場を見学した。リフトとエレベーターを乗り継いで展望室に着き、ガラス越しに見下ろしたが、あまり怖さを感じなかった。
展望室の片隅にあるドアを開けてみると鉄パイプと網目の板で作られた、見るからに観光客向けではない階段があったので、好奇心と変な勇気をもって登って行った。そこには簡単な鉄パイプだけで囲われた小さなスペースがあり、ラージヒル(90m級)のスタート地点の上部に位置していた。座っていてもお尻がずり落ちそうな急斜面を滑り降りるジャンパーの強さに驚きを感じながら、こわごわと周辺の景色を眺めていた。1分もその場に立っていなかったと思うが、何かに導かれたように足が自然と階段に向かって動き出し、網目から下の景色がいやでも見えてしまう階段の手すりを強くにぎりながら、ゆっくりと急いで降り、展望室に着いた。
何かから解放されたようなほっとした気持ちになり、隅にある飲物の自動販売機に向かったが、両足の筋肉が硬直していて、自分でもおかしかった。パンフレットには、ラージヒルの全長は385m、標高差138mと書いてあった。同じ位の高さでも部屋の中からガラス越しに見る感じと鉄パイプだけで囲われた屋外から見る感じがこんなにも違うのかと実感した。
2日目と3日目は、リフトとゴンドラを乗り継いで、標高2000m地点にある栂池高原と八方尾根を散策した。山頂は濃いガスで覆われ目的の一つであった白馬三山は見ることができなかったが、周辺の紅葉は、「山の紅葉の裾模様」と歌われるような鮮やかな紅葉を見せてくれ、満足して帰路に着いた。

理事 石川 國雄


 

2010年10月 理事のリレーメッセージ

優勝

ゴルフ

83歳にもなったし、ドライバーは150ヤードくらいしか飛ばないので、ゴルフの優勝は生涯ないものと諦めていました。
それが昨年から時間的余裕ができました。それではゴルフの練習でもしようかと思ってはじめました。ドライバーは150ヤード、第2打は5番ウッドが130ヤード位ですからグリーンにのるまで4打から5打かかりました。それが今年に入ってからドライバーは180ヤードから190ヤード、第2打が3番ウッドを使えるようになり、160ヤードから170ヤードを飛ばすようになりました。
私が参加しているコンペは、ポイントターニーという競技方式をとっています。プロの競技とかゴルフ場の月例競技と異なり、ポイントの多いほうが勝ちになります。
さて今回私はO病院のコンペに優勝することができました。ポイントは73点です(ハンデーは30です)。パーが4点という設定ですから1アンダーです。うれしかったです。
しかし優勝は一人でできるものではありません。同伴競技者と仲良く話しながら応援してもらったことが、優勝することができた重要なポイントだと思います。

理事 田口 俊夫
(田口医院院長)


 

2010年9月 理事のリレーメッセージ

いろいろな老化と老加?

アケビ

2010年8月は人の死を招くほどの猛暑になりました。そんな厳しい暑さのなかで涼風を感じたもののひとつが柴田トヨさん(99歳)の処女歌集「くじけないで」(飛鳥新社)の出版です。90歳過ぎて詩を書きはじめた白寿の柴田さん の詩の純粋さ、やさしい力強さに感動しました。

 

「神様」 (同書より)

お国のために と
死にいそいだ
若者たちがいた

いじめを苦にして
自殺していく
子供たちがいる
神様
生きる勇気を
どうして
与えてあげなかったの
戦争の仕掛人
いじめる人たちを
貴方の力で
跪かせて

人の老いはほとんどが失うことにつながって認識されています。身体的な老い、特に手足の筋力や機能の低下が代表格で、要介護度などに直結しています。しかし感覚(視覚、味覚、聴覚)の老いは40代からはじまり、眼鏡や義歯や補聴器等で補って生活しています。一方で五感といわれる感覚の老化と身体的機能老化は別もので、介護を必要とされている方も五感から得る生活のよろこび、楽しみを沢山もっておられます。
頭脳の働きからくる知的な好奇心や向上心、あるいはすべてを統合した(芸術的)創造力、様々な製作力等々も年齢に伴い低下するものではありません。
9月は敬老の月です。猛暑をのりきり、小さな秋をみつけながら、失う老いだけでなく、老いても失わないもの、さらには老いて増す力や新しい力を発見し、ひとりひとりが尊重される高齢社会を目指したいと願います。

常務理事 鈴木 恂子
(社会福祉士)


 

2010年8月 理事のリレーメッセージ

おつかれさま

ハス

介護現場は今、少数配置の変則体制を工夫しつつ利用者の超重度・虚弱者の対応と煩雑な事務処理に追われる実態で、その苦労は並大抵ではありません。
そんな重圧にもめげず各施設の部署間は密接に連携し、相対する利用者一人ひとりへきめ細やかな援助の手を差し伸べています。そこには、気配り・目配り・気働きで昼夜を守り抜く、頼もしいベテランたちのキャリアが輝いて見えます。

昔、私も先輩と同じ対応をしたつもりが上手くいかず、一人悩んだことがありました。
そんなある日、利用者から「毎日、お疲れさまね」と言葉をかけられました。
その一言が心に響き、「福祉職員としての任務を精いっぱい頑張ろう」と決心した気がします。
 
新任職員には戸惑いも多いと思いますが、あせらず日常業務を着実に身につけていただきたい。
そして先輩には、未来のエースの成長を大切に育んでいただきたいと願っています。

サービス向上担当 関 道子


 

2010年7月 理事のリレーメッセージ

要介護認定は必要か

歩行器の老人

介護保険法が施行されて10年。最近問題になってきているのが要介護認定である。介護保険法では、サービス給付を受けようとする者は要介護認定を受け、要介護度が決められ、これにより保険給付の支給限度額が決まるという仕組みになっている。
こんなルールを作った理由は、介護サービスを好きなだけ受けられるようにすると保険財政がパンクすることを恐れてのことだと思われるが、現実のデータを見れば、平均としては支給限度額の4割程度しか使われていない。この現実をみれば、支給限度額など不要であることは自明である。
人は基本的には人の世話になりたくない上、1割の個人負担があるから、支給限度額いっぱいに使う人は少ないのだ。
それよりも問題なのは、要介護認定で出された要介護度が低すぎるために、その人に必要な介護が受けられないという人が出ているという点である。すなわち、方法に問題があり、要介護認定自体が妥当性を欠いているのだ。
この要介護認定のために、どれだけの税金が無駄に使われているか計り知れない。さらに、利用者にとっても、申請、認定調査、医師の意見書などの手続きが必要な上、自分の介護度を公的にランク付けされるという屈辱を味わうことになる。
そもそも必要な介護の量を今の介護認定のような単純なやり方で出すこと自体に無理がある。要介護認定を取りやめ、医療保険と同じように、ケアマネージャーに必要なサービス給付量を査定する権限を持たせて、サービスが必要なだけきちんと提供されるようにするべきである。青天井が心配ならば、サービス給付の上限のみを設定すればよい。

理事 相羽 孝昭
(社会福祉法人 アゼリヤ会常務理事)


 

2010年6月 理事のリレーメッセージ

長寿の意味を考える

あじさい

日本は世界一の長寿国となって久しい。それは医学・医療・保健の進歩によって小児の死亡率が低下したこと、戦争放棄によって若者の死者の激減、職場や自治体での健診の普及による成人病の予防、悪性疾患の早期発見と早期治療などによるもので、非常に喜ばしく世界に誇れるものである。
しかしその世界一も、世界的評価はさほど高くない。その理由は、高齢となり水も飲めなくなった人、食べるものも飲み込めなくなった人、それら嚥下機能が低下した高齢者に、胃瘻(いろう)を造設したり鼻から管を入れて栄養物を注入する経管栄養を行ったりすることが、日本ではごく一般的に行われ生命を維持していることによる。
外国では食べられなくなった人、飲めなくなった人は人生の終末期を迎えたわけだから、点滴や経管栄養は行わず、静かに自然死を迎えさせるのが一般的である。病気は治せるが、老化は元に戻らないという理論がそうさせている。また、現世の姿は仮の姿であり、来世が永遠の姿で神のもとで暮らすことができるという宗教観にもよっている。
人間の五感が正常に機能することはすばらしいことである。美しい物を見、聞き、よい香りを楽しみ、おいしい物を味わい、愛犬を撫でる触覚などが人間らしさのものになっている。
私は、終末期のあり方、長寿のあり方を考えるとき、経管栄養によって統計的に世界一の長寿国ということに疑問を感ぜざるを得ない。

理事 内野 滋雄


 

2010年5月 理事のリレーメッセージ

弁護士と広告

ハナショウブ

最近、弁護士の広告が加熱しており、しかも、大部分がサラ金に対する債務整理と過払い請求の勧誘になっています。多くの市民がこれに違和感を抱いているのではないでしょうか。(インターネットに「最近弁護士の方向性はおかしくないですか?どこを見ても過払い請求の広告ばっかです。」とありました。)
もともと、1990年まで弁護士の広告は、弁護士倫理規定により全面的に禁止されていました。当時、最寄りの駅から法律事務所までの道順を示す電柱掲示板も広告禁止に触れるのではないか、と大まじめに議論していたほどです。そして、解禁されても倫理規定により「品位をそこなう広告・宣伝をしてはならない。」と釘を刺されて、その趣旨は現在でも受け継がれてはいるのです。しかし、上記の広告の実情は、これらの広告を品位をそこなうものと決めつけることができないまま、市民の違和感を醸成しています。この問題の所在は「品位」の有無よりは、別の事柄にあると思われます。
それは競争原理です。広告解禁が1990年であることが象徴的です。この時代(流行の言葉に乗れば「アラ・ナイン」?!)は、80年代以来のレーガン・サッチャーの規制緩和・民営化・小さな政府論が我が国にも浸透した時代です。それは、ヘッジファンドの投機活動を礼賛することに躊躇(ちゅうちょ)しないシカゴ学派を中心とする新自由主義者の主張が政府により公認された時代でした。そのツケが最近の不況を生み出したリーマンショックに象徴されています。
これらの政策や理論の背骨には、「自由な競争こそ善」という市場経済原理至上主義と、「自己責任」という名の国の無責任主義とがあると思われます。これらは、一種の原理主義思想となって、規制緩和の呼び声で我が国の社会に様々な混乱を持ち込んでいるのではないでしょうか。福祉分野への株式会社の参入もその一つです。
しかし、もともと我が国には、このような輸入思想に頼らずとも、優れた技術や細やかな文化を創り出す力があり、これらは各分野を支える働く者の自律的な職業倫理と誠実さが創り出したものではないでしょうか。分野は違うとしても、社会福祉の職場でも弁護士の業務でも、競争によってではなく自律的な倫理と誠実さこそが大切な価値なのだと思います。

理事 板垣 光繁
(江東総合法律事務所弁護士)


 

2010年4月 理事のリレーメッセージ

春の一日

さくら

法人創設者中城イマ理事長は、昭和54年吉川英治文化賞をいただいたとき、身に余る光栄と感激した。年一度、吉川先生の奥様を奥多摩吉野に表敬訪問していた。奥様は、私などにまでお茶をすすめられこころよくむかえて下さった。
吉川英治先生の「新・平家物語」は、人間のしあわせとは何か、麻鳥夫妻にそれを語らせて結んでいる。
私はことし数えで夫婦合わせて180歳。麻鳥夫妻のように、じじばばで近郊の山に登ってことしのさくらをゆっくり眺めて「平和とは何か」、再考したいと思います。


春の一日、麻鳥夫妻は、吉野山へ花見に出かける−。
谷を前にした崖ぎわの草のよい所に、二つのまろい背中が見える。白髪の雛でも並べたようだ。満山の花に面を向けたまま、行儀よく、そして、いつまでも、ただ黙然とすわっている。
この辺りで、と。
麻鳥夫妻は、けさ、旅籠(はたご)でこしらえてもらって来た弁当を、ひざの上で解き合って、食べつつ、花をながめつつ、物をいわずにいたのであった。
やっと箸も終わって、
『おいしかったねえ。…蓬(よもぎ)』
と、初めて、そこで声が聞かれた。
『ほんとに、夢の中で食べてるみたいに、食べてしまいました』
『ほら、鶯(うぐいす)がないてるよ、あれも迦陵頻伽(かりょうびんが)と聞こえる。極楽とか天国とかいうのは、こんな日のことだろうな』
『ええ、わたくしたちの今が』
『何が人間の、幸福かといえば、つきつめたところ、まあこの辺が、人間のたどりつける、いちばんの幸福だろうよ。これなら人もゆるすし、神のとがめもあるわけはない。そして、たれにも望めることだから』
『それなのになんで、人はみな、位階や権力とかを、あんなにまで、血を流して争うのでしょう。もうもう、やめてくれればよいに』

(引用 吉川英治『新・平家物語』より)

理事長 坂本 巌


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